本当は怖い昭和30年代の実態 ~ALWAYS地獄の三丁目~
たしかにあこがれすぎるのはよくないだろう。が、経済が右肩上がりであったのは事実だ。
昭和30年代。
日本の高度経済成長は国家主導の発展であったなんて寝言を今時言っている人もいるが、この本を読めば実は今と正反対の環境の中で民間主導で経済が発展していたのに気付かされる。
本当は怖い昭和30年代 ~ALWAYS地獄の三丁目~
ざっくり言うならば規制などは非常に現在よりゆるかったか事実上効果を発揮していない場面が多かったことが非常によくわかる。もちろん、この本にはビジネスのこと以外も書いてあるがあらゆる場面でゆるかったのがわかるのだ。
もちろん、先週書いた(紹介した)ように犯罪が今より多発していたのも事実だしありえないことがたくさん起こっていたのも事実だけど・・・。
たとえば、個人情報への意識の薄さ・安全や安心を狂ったように叫ぶような人もあまりいなかったことなどなど。今の時代は妙な個人情報への意識。安全・安心への狂信、規制への信仰etc。
そのせいで非常に息苦しくビジネスがしづらい環境になっている。
また、おおらかさが失った日本人の多くはお客様は神様であるという言葉を勘違いして過剰なサービスを要求する。そしてすぐにクレーマーと化す。
これらの行動が間違いなく日本のビジネスを停滞させ、その結果経済を疲弊させているのだ。
また、よくない面もあるだろうが、世の中の実情に合わせて法律の適用もより柔軟に行われていたようにも思う。よく池田信夫氏などは日本の行政指導の多さ・裁量行政の多さは問題だ。と叫ぶが三輪芳朗氏も指摘するようにアメリカでも日本同様に行政指導はしばしば行われている。
面白い本なのであまりネタ晴らしはしたくないのであいまいな表現も多くなったが、この手の主張は過去にもやってきたし過去に紹介した三輪芳朗氏などの本を読めばよくわかるだろう。
なんとなく昭和30年代って実は・・・。と読むだけではなくて、ああ、実はこのおおらかさや人々のたくましさが昭和の高度成長を支えたのかもしれない。そういう視点で読むとまた楽しめる一冊だと僕は思う。550円と安価なのでぜひみなさんも読んでもらいたい。
ソース
http://blogos.com/article/49035/?axis=b:247
スポンサーリンク
所得倍増計画
列島改造論
この二つは無視できないファクターだと思うんだけどな。
つーか、経済政策やら金融政策をなんで無視するんだぜ?
*幕末生まれ(1820年代~1868)
明治維新を成し遂げ、日本を近代国家の仲間入りさせた最強の世代。日清・日露戦争を勝利に導き領土を広げた。天皇を天ちゃんと呼んでいた。
*明治生まれ(1868~1912)
金持ちは大正デモクラシーを謳歌。皇国教育を受けアメリカと戦争を引き起こし、大日本帝国を滅亡に追い込んだ世代。頑固。
*大正生まれ(1912~1926)
明治男の無謀な命令で前線で戦い、戦死者が一番多く、戦争未亡人が一番多い世代。生き残った男は、女が余っているため結婚相手に困ることはなし。
戦後も明治男の無理難題の要求に苦労しながら奇跡の復興の原動力に。
*昭和一桁(1926~1934)
軍国少年少女となるべく教育を受け、防空壕を掘ったり軍需工場で働かされ青春はなし。家族を空襲で失った者多し。
貧乏のどん底からモーレツに働き、戦後は高度成長期の原動力に。
*昭和二桁(1935~1946)
戦中戦後の悲惨な時代に育つ。宝くじ大好き。老人になってみれば公務員の使い込みにより年金を5年分カット(受給開始が60歳から65歳へ)され、老人パスもなかなかもらえず
*団塊世代 ベビー・ブーマー(1947~1949)
日本が最貧国の頃に生まれた。経済大国日本を作り上げたと思ってる”超”勘違い世代
この世代前後の公務員が巨額の借金を作った。本当は歌謡曲を聴いていた者がほとんどなのにビートルズ世代を自称w
日本中に貧困があり生存競争が激しく労働運動・学生運動が盛んだった最後の世代
まだまだ中卒で就職した者も多く金の卵と呼ばれた。大学進学率は10%程度
高給与を得た者は80年代後半に土地やマンション、会員権を買い、バブルがはじけて大損w
唯一評価できるのは繁殖力の高さ。
*シラケ世代 マンガ世代(1950~1959)
モーレツに働いたこれまでの世代と違い、一歩引いた白けた目で物を見る。
高度成長期に育ち、進学率はやたらと増えるが勉強しない大学生が社会問題化。大人になっても漫画を読むw
若い頃にオイルショックの不況を体験。学生時代はロングヘアーでも就職のためにはあっさり髪を切った
*新人類(1960~1964)
上の世代には理解できない思考や行動が目立っため新人類といわれたw
それまでの世代は旧人類にw
物心ついた頃にはテレビが家庭にありテレビ番組や漫画、ロック、ディスコ、コンピューターゲームの草創期といったサブカルチャー共通体験を持つ。
日本が欧米やオセアニアよりずっと貧しかった頃を知る最後の世代
高校進学率が9割を超え、共通一次試験が始まり国公立大学を一つしか受験できず。大卒者の就職時期は円高不況
*バブル世代(1965~1969)
物心がついた頃には既に日本は経済大国。就職時期はバブル。中小企業でも完全週休二日制がかなり普及バブル時代を語ると目が輝くw
金銭感覚が戻らず消費率は高め。能力不相応な職場でがん細胞化
*団塊Jr 苺ちゃん(1970~1974)
所得が恵まれた団塊の親を持ち、その恩恵(団塊Jrの少年期になると漫画が桁外れに売れゲームのミリオンセラーが続出、マンション住まいの大学生が増える等、子供の甘やかしが話題)を受けたのに団塊が作った負債を一手に引き受けていると主張w
中高卒者はバブル期に就職できたが、親に小金があり背伸びして進学した者は就職難に
結局、大学でろくに勉強しなかった者は中高卒者が行くような職場にw
待遇向上のため労働組合に参加したり組織して闘うこともなく保守的で無抵抗のため低賃金で、あっさりリストラされる者多し
無知のため80年代全体がバブルで皆が恩恵を受けたと思いこみ、上の世代をやたらと羨んだり憎んだりする者多しw
学校数や学部数、募集人数が昔より増えていたのに上の世代より受験で損したと今だに愚痴っているw
人口が団塊の次に多いが繁殖力は低く結婚できないことが社会問題化
*就職氷河期世代(1975~1981)
長期不況で氷河期と呼ばれるほどの就職難となり小泉構造改悪により派遣率・フリーター率・ニート率高し団塊Jrほど恨み言を言わず、あきらめモード全開で保守的w
*無気力世代(1982~1988)
首都圏と中京圏ではミニバブルが起き、団塊リタイアと重なり新卒の就職は
80年代末のバブル期以上の空前の売り手市場とも言われたが、やる気ナッシングw
*平成生まれ ゆとり君(1989~)
物心ついた頃から不況だが子供の数が少ないため結構甘やかされて育つ。しかし親の兄弟も少なく、お年玉の総額は70年代並w
昭和40年代。
昭和30年代は、円安と安月給で陳腐なアパートに家族で住んで働く貧乏人がいただけの話さ。
同じ環境に住めと言われてもなぁ。
いまとは全然ちがうわな
東京大阪は、地方からの労働者が入って来たから、住宅難で、賃貸住宅の建築ラッシュだった。
もちろん、商店や事務所も建築ラッシュ。
戦前の丁寧な建築法が簡便なものに変えられた過度期だ。
昭和30年初めに建てられた賃貸住宅は、
簡単な造りでは腕を振るえなくて、それを無念と感じる大工の心意気を僅かに示す、丁寧な造りの窓格子が話題になった。
あそこでお金を上手に使っておけば、
今の停滞も避けられた。
現代よりよほど格差社会だったよ。
今じゃ不登校の中学生が高校に進学して高校でまた不登校出来る時代だけど
当時は向学心ある子だって経済的理由などで皆が進学できたわけじゃないんだから。
経済的理由で大学に行けない秀才が製造業に入って業績をのし上げたんだよな
またあの時代が来ると思ってるアホへの忠告。
30年代に憧れているやつってそういうの受け入れられるのかな?w
福一どころじゃねぇ
子供のラムネや粉ジュースには、合成甘味料チクロと発ガン性染料が入っていたんだぜ。
粉お汁粉もチクロ入り。
この頃は公害病とかで急に環境とか発ガン云々に目覚めて過剰に騒ぎ立ててた
チクロの発がん性なんて今から見れば大したこと無い、現にEUやカナダではいまだに使ってる
DDTも使用禁止されたが今では安全性が証明されてWHOは途上国での室内噴霧を推奨してる
規制が緩いのを利用して、創価が集団で暴れ始めた時代だ。
密入国の在日が確実に増えていた。
>>71
DDTで山ダニが減って、ツツガムシ病も減った。
今は山ダニが増えて、ちょっとした藪でも犬がダニだらけになるから注意。
アスベストも素手でパイプにぐるぐると巻いていたという、とんでも無い時代だな。
昭和20年代の10年だからな。
地方含めて都市部は空襲で焼け野原になったけど、田舎町は無傷だったから生産性はあったんだよ。
親の田舎は戦時中もカレーライスも食べていたし、瓶牛乳の宅配を取っていた。
>>70>>73は、
自己レスみたいになったけど、書く前にクリックしたので繋いで書いた。
ちょっと逸れたことしただけで親戚町内学校会社から汚泥のような有形無形の圧力、現代のさらに数倍
そうでもないよ。
日本独自の技術を生かした織物や染色工場や、松下電器などの家電工場など、様々な工場が操業を始めたのが軌道に乗ったのが30年代半ば。。
ラジオも日本独自のトランジスタ技術がもてはやされ、テレビも30年代初頭からぼちぼち庶民が買うようになった。
まぁ、焼け跡が修復されて安普請(やすぶしん)でも新しい建物が立ち上がって、街の見た目が綺麗になったのが30年代初め。
30年代半ばには、住宅のドーナツ化が顕著になり始めた。
ちゃんとした都市開発が作られていないから、この30年代半ばに建てられた賃貸住宅は滅茶苦茶ひしめき合うことになった。
松下電器本社やタイガー魔法瓶がある門真市が、小川に魚が群れる長閑な田園風景から、乱開発の滅茶苦茶な町に変化したのは30年代半ば。
韓国-朝鮮戦争で疲弊
この2国が全然競争相手でなかったため
おいおいw
その時代のさらに何十年も前から日本は5大国()のひとつだぜw
この百何十年(実はさらに前から)シナと朝鮮は相手にならんかったかと
朝鮮にいたっては(よく知らせているように)日本が戦前戦後と
金を注ぎまくったおかげで、上流階級以外も土人生活から脱却できたんだから
技術移転と経済支援をしなければ、今でも競争相手ではないよ。
幼少期が戦後の混乱期にあたるから
ちゃんとした情操教育を受けられなかったからといわれているが
カツオ、ワカメの現役時代、サザエさんが長寿番組なんもその辺影響してる?
・キャッチアップ目標および豊かな市場としての欧米先進国
・新興工業国としての日本
・安価な資源の供給元としてのアジア
という布置があったから。それは二度と戻らない。
おなじみの「にほんは!すいたいこっか!!」論ですなwww
20年デフレが続いたからそうなるのは分かる、人間には限界があることだしね
明るい感じはするね。たぶんこの明るさは、大阪万博のあたりまでで、
その後、公害、石油ショック、狂乱物価、ノストラダムス、、、の頃は俺も知ってる。
すでにその頃から日本の(世界も)未来はどうなっちゃうんだろう、みたいな風潮だったが。
まあ焼け野原を前にして、もの売れば売るだけ買ってくれるみたいな
日本の歴史でも稀にみるイージーな時代。人海戦術でおkみたいな
給料やるから、中卒でもええから来いで、集団就職
で、そういうのがトップになる頃に、時代は逆転、作ったのに売れんと悩むという…
中卒で上場企業のトップ?
いくらなんでもそれは無い。
社長の学歴みれば中卒どころか高卒も無いから。
田中角栄がいかにすごいかだな
逆だよw
本来は地方から都会へ人が動くべき時期に、
角栄の政策のせいで田舎に人が残りすぎてしまったんだよw
同意。日本列島改造論はある程度正しいと思う。
全国高速道路網は90年代初頭までに終了させておくべきだったね。
>>51
それは、家と土地を売却して都会へ移れと言いたいのか?
それは何か違うと思うよ。
家と土地がないと言うことはホームレスになりやすいと言うことだよ。
本田宗一郎、松下幸之助、早川徳次
電話のない家は近所のある家から呼び出してもらうシステム
個人情報保護なんぞいらんかったんや
いい加減にあきらめろ
むやみに書類仕事が増えた。ゆきとどいた世の中で結構ですなあw
え、まだ足りない?
丁度隣国もいきり立っているみたいだし。
いざ始まると逃げるんでしょ?
・自民VS社会の八百長政治
・モノを作れば何でも売れる 環境?温暖化?ナニソレオイシイノ
・教師は正しい!上司は正しい!絶対服従!鉄拳制裁!
まっぴらごめんこうむるね
飲み会に付き合うのは当たり前。用事があるだと?飲み会も立派な用事だ。
タバコを吸うのは当たり前。煙が嫌でも文句を言える雰囲気は無い。
そんなところかな?まだまだあるだろうけど
慰安旅行、お茶汲み、掃除
昭和の時代には当たり前のようにあったもの
金づかいだけは右肩あがりでないと絶対あかんって、ユダヤがうるさいから
戦争やーみたいな話になるんちゃうん?
カラーテレビが普及しはじめ、あらゆる家電製品が生活を快適にしていった。
月賦と称した。
先輩たちはマルセン手形で車を買ってたね。
月給の何倍もする家電を買おうと頑張る庶民
月給2万3万の時代に吸い取るだけの掃除機が5万とか…
昭和30年代の山間の農村…傷痍軍人を除いて障害者がいない
開かずの間がある
地方農村に生活の近現代化が波及したのは若干遅れ昭和40年代のことだった
…と生まれてもいない時代だけど見聞きした話だけでもいろいろ見えてくるね
今はすぐ壊れるけど。
んなことねーよw
高度成長期は今の中国と一緒だよww
構造が単純だからなのか何なのか知らんけど耐久性あるものもあるみたいだね
うちの親が親(祖父母)に買ったらしい扇風機(昭和48年製)はまだ動いてたよ
一方俺のIHジャー炊飯器は3年もたたないのに壊れた
アメリカがベトナム戦争の兵站基地として日本使い、
多量に物資を調達してくれたから。
祭日も極端に少ない。
政治家が会議中とかにタバコ吸いまくっててビビる。
週休2日だし、庶民は牛肉食えるのは年に数える位だったし。
でも、30年代は、社会が明るいというか、多様性があったのも事実。
無茶が許される環境で無茶する人が沢山いたからね。
今は金太郎飴のような均質化を求められ、女の腐ったようなのが
世の中を牛耳ってるから息苦しいわな。
貧乏だったからこそ少しずつ豊かになっていくのが毎年実感できた
それが幸福だっただけの話
また貧乏どん底から始めればあの時のように豊かな時代が送れるよw
間取りは、6畳のDK、和室6畳、和室4.5畳と1間半の押し入れ(これで6畳分)、水洗トイレとお風呂場。
これは、夫婦と子供二人を想定したと言われている。
結婚したら、この公団住宅に入居するのがサラリーンマンの夢と言われた時代。
この公団住宅に入居するには最低収入の縛りがあって、誰でも入居できたわけではない。
私の住んでいた公団住宅に隣接した、旧国鉄官舎からは、夕方になると薪の匂いがしていた。
外房の祖母の家では、祖母がガスを使うのを怖がってお風呂はオガライトと言う、
おがくずを固めた物を使っていた。
当時外房はようやく海水浴客(庶民)が増え始めたところで、昭和30年代前半は
避暑客(富裕層)しか、海辺で過ごすことは出来なかった。
今でも東京に比べて外房の私の母の実家は、夏の最高気温は毎日3度程度は差がある。
夜になると海風が涼しくて、25度くらいまで気温が下がった。
当時エアコンはないので、海辺で過ごすことは避暑になった。
昭和33年に結婚した両親は、東京では住み込みで働いていて、結婚直後は4.5畳、
炊事場と台所は共用だった。そこで私は生まれた。
つまり、夫婦と子供(3歳半まで)が、4.5畳に暮らしていた。
母は洋裁の内職をしていたので、4.5畳に工業用ミシン(と作業台)が置かれていた。
東京に帰ってくるのは月に1回。
数日間なので、住み込みの2階に置いてあるソファーで寝たという。
東京を夜行の普通列車で出ると、翌日豊橋で降りて一仕事。
九州に入るまで2泊か3泊したが、車中泊と安宿泊と交互にこなしたと言う。
(日経新聞「私の履歴書」でも森光子さんが、同じようなことを書いていた)
列車は直角イスで、ボックス席の間にのせる板を持参して、ベッドにしていたと言う。
横溝正史の小説で、昭和30年代が出てくるけど、まさにあの時代。
× 父は昭和28年から34年まで、
○ 父は昭和28年から37年まで、
GDP億ドル(前5年間の年平均成長率)
昭和10年1,412(+4.7%) 昭和15年2,018(+8.6%) 昭和20年987(-10.2%)
昭和25年1,565(+11.7%) 昭和30年2,420(+10.9%) 昭和35年3,648(+10.1%)
昭和40年5,706(+11.3%) 昭和45年9,857(+14.5%) 昭和50年12,238(+4.8%)
昭和55年15,316(+5.0%) 昭和60年18,399(+4.0%) 平成02年22,915(+4.9%)
昭和20年でも-10%というのには驚き。
なんだかんだで軍需という一箇所に金をかけてた時期でもあるからな
当然超局所的に栄えるところもあるってことだ。
そしてGDPはそれも大事だ。
広域が荒廃しようともモノを生み出すところはあったわけだしな
広島の呉とかかなり発展したみたいだな。
今の名古屋みたいなものか
でもそういう街も空襲で破壊されてしまったのだが。
引いて5で割って出した平均でつまり-10%が5年続いたってことだから+でも-でも事は大きいよ
年によってバラつきはあって実は昭和19年から20年の1年で-50%くらいの破壊的なマイナスっていう…
昭和49年に戦後初めてマイナスになったんだけど平成になってからそれ以上のマイナス年が数回ある
大企業とカネ持ちが税金払ってた時代…
リアルに再現された常盤平団地-松戸市立博物館の展示より http://www.youtube.com/watch?v=GaXeVCFVKdk
これが昭和30年代末期の庶民の憧れの住宅水準だよ。
でも、私はあの頃が一番幸せだったなぁ・・・
団地にも人情があって、将来に対する夢があって・・・
パソコンや携帯電話が出てきてインターネットでニュース見れてAmazonで安く物が買えるは嬉しい事だけど
それに尽きるな
日米貿易摩擦以降はアメリカからの外圧による円高誘導と内需拡大で衰退していった
極めて単純なお話
今と比べると質が良くないから、
住みたくないな。
その名残で福岡県は朝日新聞社の西部本社が北九州だったり
NHKが県内2局体制(南部NHK福岡)(北部NHK北九州)だったりする
発展の時代が終わり、不要な人間だけが残された感じだな。
ネトウヨがやたら韓国に嫉妬しているのも分る。
その時代をエネルギーその他資源の安い時代に
通り抜けることができた。
土曜日は普通に出勤日
耐えられるか?
土曜日は半ドンだっただろ
ただし、日本のどこもかしこも汚かった
ゴキブリ、ハエがいて当たり前
トイレはぼっとん
111: 名刺は切らしておりまして 2012/10/28(日) 04:49:02.76 ID:fTCfWfft
昔はよくそんなのいたな 公衆便所は特に
>>92
昔は中学生以下の女はまだ女扱いされてなかったから
病院の待合で女子中学生が上半身裸で待たされてたぞ
今でも無給で土曜日強制出勤のブラック企業がいっぱいですが…
中小では隔週で土曜日フル出勤てのも普通ですが…
時間中に抜けて私用をすますこともできたわ。
そうだけど、サビ残ってあまりなかったと思う。
父ちゃんは夕方家に帰ってきて、みんなでご飯を食べていたらしい。
都会で言えば、郊外型住宅はそのあとで、狭いけど都心で通勤時間は
かからなかった。塾もないし、。ご飯を食べて銭湯へ行って寝た。
テレビが普及するのは38年のオリンピックだから、ラジオを聞いていた。
仕事はたくさんあった。高給じゃないけど。
金が回ってる頃は少なくとも残業代はまともに出たし
どっちが良かったかはもはやわからんと思うが
成長は右肩上がりだったから、
夢だけは今よりあったんだろう
確かに今の日本に足りないのは夢と希望だな
明日どうなるかわからない様なら財布の紐も固くなるわな
いつまでもデフレから脱却出来ないはずだわ
夏休み終わると学年に1人、2人、夜逃げや自殺や事故死の生徒がいた。
生徒数が1000人以上の学校だとどこでもそんな感じじゃね?
校門に知らないおじさんが立っていて、
「○年○組の○○クンにお手紙書きたいんだけど引越し先しらないかな?」
次の日に先生が
「引っ越した○○君にお手紙を出したい人は先生がまとめて送りますので渡してください
知らない人に○○君の住所を聞かれても教えないで先生に報告してください」
とかな。
質の低い奴でも需要があった。
そんな時代。
トイレはボットン、停電はしょっちゅう
ドコのお宅も大体21時には寝ている(子供が増える要因?)
テレビはないうちもある、洗濯機は脱水が手動
今を生きると不便で仕方がなさそうだ
凄い時代だなって思うけど江戸時代なんかそれよりも不便だからなあ。
心の豊かさを比較したらどうだか分からんけども。
ウチの地元、15-17年前まではまさそれだったわ
野球観戦見るためにさすがにテレビはあったがw
それのどこが不便なのかが知りたい
不便と思い込んでるだけだ
満員の中でみんなシャツびっしょりにしてた。
伝わってくるだろうし、
今の新興国のニュースから急成長する国の長所も短所も見えてくるはず。
本を読んでも、「日本もかつてそうだった」と確認するだけのことだ。
日本は技術力があったので世界中が日本の製品を買い叩いた
だから輸出が絶好調で金が溜まる溜まる
いくらでも物が売れ豊かになり仕事に困らず物価も人件費も安いので公共事業も盛んだった。
なので、企業も潤い経済も良くなる方向性があった。
外国人は、不真面目という面で、雇う企業は少なかった。
今:働いたら損という精神+引きこもりニートな青年が多い。
なので、不景気が加速し、経済悪化。
その為、外国人を雇用したり海外進出企業が増えた。
現在では、日本の若者よりハングリー精神の高い外国人
の方が、真面目に働くと企業は認識している。
日本終了。
き さ ま ら の せ い だ な。
50年代はしらんが
90年代と今を比較したら 今のほうが仕事は厳しいし給料も安い
つまり20年前より何割増しかで仕事してるんだが、それでもこの日本の現状。
なんでだ?
気楽に懸命にいきられる今はそれがない
あんたは預言者か?いま振り返れば高度成長となっていたが当時だれもが明るい未来を信じてた思ってんの?
70年代なんて芸能人、スポーツ選手、漫画家などは「ファンレターを出そう」ってことで住所が何番地何号まで雑誌に載ってたらしいからな。
雑誌に住所もだが、加入者に配る電電公社の電話帳にも有名人の電話番号が載ってた
今は先進国になった日本、から始まる時代だから
良くしていく方向が見えにくい。
あの時代から確実に政治家や財界人が馬鹿に成ってるだけだろ
信じられないだろうが、一部農村では娘の身売りも横行してた。
映画を見ると懐かしく、憧れたりするけど、実態は醜いものだ。
それと、本当に怖いのは被爆
40年代前半まで原水爆実験が繰り返されてたから福島原発事故より
酷い放射能を浴びてたはずだ。
俺の家は明治大正時代のでいまだに居るけど、現在でも弊害もそのままだよ
身売りが無いだと?まだあるんだけどね
みなさんよく語れますな
70年代生まれぐらいなら廻りから当時の話聞いてる。
親がドンピシャの世代だったのでね。
こちらも昭和30年代がただ単に経済が潤った時代、でなかった事の片鱗がわかるし、
親の方も当時は当たり前のことであっても改めて子供や孫と語らうと違った印象があるらしい。
今より賑やかで輝いていましたが
昔はみんな貧しかったからね・・。
バブルの絶頂期と比べると、物質的には豊かでも1つ1つのものは安普請になっている。
昭和30年代はもの自体が少ない。部屋の中はガラクタで溢れていなかった。
無政府状態からその30年代を過ごした今の70代あたりは愚連隊にあこがれて
荒っぽいことしてでも無理にやれば何でも通ると疑わない老害ばっか。
何もかもが人手が必要だったし、それに代わる手段もなかった。
そりゃ皆が仕事が得られた時代だったと思うよ。
地方じゃ1日2食も普通にあったし食い物だってうどんかにぎり飯が多かったし、おかず
なんて洒落たものないわ、たくあんあればいいほう、今の食い物やたら油使うからみんなでぶるんだわな。
偏見じゃないの?すぐ壊れちゃうセルロイドや錆びちゃうブリキのオモチャでモノは溢れてたよ。
溢れるほどオモチャを買ってもらえたのは羨ましい。
みんな希望に満ち溢れて、前を見て、上を見てる。
今の東南アジアや中国もそんな感じ。
一方凋落する方は、世間から見ればいい生活してても、
みじめなもんだよ。
そうなんだよ
問題は絶対値ではなくベクトルなんだよな。
若い中国人とか眩しいくらいだもんな。結局、みじかに成功した人がいるからその後ろについていこうって感じなんだろうけど。
年寄りが没落してるのを見てる今の若い日本人が上昇志向なんてそうそうもてないわな。
家電やメガネなんか絶対的にも今の方が安い。
そんなものが許されるほど豊かではなかったからね。
「外国から安く買えばいいじゃん」なんてのは極々最近の話。
舶来品は品質よりも何よりも高くて買えなかったから
国内で作られるパチもんで我慢するしかなかった。
少し中身見た気がする
今でいう自治体程度がすべてなんだから、せいぜい十数件くらいのとこで
生まれて結婚して死んでいったわけだ、情報も何もみんな隣近所をよく
知ってたもん40年代でやっと隣村と結婚する奴が出てきたくらい、
そのころやっと田舎から東京の大学に行ってでもしか先生として戻る
やつも出てきたけど、田舎のじーちゃんはオラげの息子は東京の大学って
いうとこに行ったら屁理屈ばっかり言って何もできないバカになって帰って来た
あんなとこ行かせるんじゃなかったって嘆いてたわ。
境遇が固定されて居たわな。
山形の死んだじーさんは戦前は地主で金持ちだったから
戦前から比較的文化的な生活してた。
じーさんは東京農大でばーさんは茶の水。
戦後は農地解放とかいうくだらん政策で
土地は失ったけど山は残ったから林業やってた。
じーさんはトランジスタラジヲ大好きで買いまくってたっけ。
S15年生の親父は電卓大好きで買いまくっていた。
俺はPC買いまくってた。
2chを見てると、自分より古い世代を全部ひっくるめて
「団塊」「昭和」呼ばわりしてるのがいるからな。
日本の黄金時代である昭和60年代と高度成長期の昭和30年代が
区別できてないゆとりは少なくないと思うんだが。
高度成長期とバブルは区別できてるよ
高度成長期:苦労人
バブル:ただのバカ
貰ったりするのが普通だったから、それが当たり前だと思ってたけど
市の統計見たら、昭和55年あたりから急速にマイカーが増え出してて、
自分が生まれる5年くらい前だと、マイカーがない人の方が断然多いって状態だった。
母は仕事がらみで昭和30年代後半に免許を習得。配送トラック運転してた。
「すげー!オンナが運転してる!」と言う時代。20歳前後の頃だしな。
狭い道だと相手が譲ってくれる、はまって困ってると野郎が運転変わってくれる
状態だったせいか今でも運転下手だ。
俺の家では俺が18で車買ったのが最初
低下している現実があるな。モンスターを増長させているのは弁護士と
それに加担する裁判官だから、今は司法不況なんだよな。
確かに今は昭和30年代より犯罪は少ないかもしれないが、モンスター対策で
ストレスフルな時代だ。
医者など一部の金持ちか車狂いの人。さすがにテレビはたぶん、ほとんど全ての家庭に
あったような気がする。
確かに肉は高級料理で滅多に出なかった。そのせいか、そもそも肉は嫌いだった。というか
家庭料理で美味しかったという記憶がない(母親の料理が下手だというのもあったかもだが、
上手い人のほうが少数派だったような気もする)
そろばん、書道、絵画の塾は流行っていたが勉強の塾は小学生で通う奴は少数派だった。
東大に行った奴も塾には行っていなかったね。
牛肉なんてなかったよね、カレーだってカレー粉をうどん粉と混ぜて豚肉だった、
おかずがないときは塩をご飯に振り掛けて食ったわ。
「貧乏」というものがリアルに存在してた
貧しく汚い身なりの困窮家庭が多数あったし、
普通の生活水準も食べていくことまで
昭和50年代の後半から貧困が消滅し日本は本当に豊かになっていった
昭和40年代と50年代では日本は別の国
たとえば、わらぶき屋根がほとんどなくなり
マイカーブームで自動車が普及し出したのもこの頃だし
家庭に電話が普及するようになったのも
性表現が大胆となり日活ロマンポルノが制作されたのもこのころ
農作業は機械化されておらず、田植え・稲刈りも手作業
農繁期は児童まで動員してやる江戸時代と変わらぬ風景
昭和50年代はトラクター、コンバイン
10年ほどで一気に大変革
一定機械化されてたぞ
どこでそんな創作話聞かされたんだよ。
娯楽の中心はまだ総天然色の映画。銀幕のスターが健在
昭和50年代になると映画は完全に衰退し、地方の映画館は壊滅
ポルノ・ヤクザ映画以外消滅
全てテレビに移行
昭和40年代のドリフターズは映画をたくさんやってるんだよな
社会に裏表があるのは当たり前だし、混沌とした時代は危険がたくさんあるのも当たり前。
江戸時代評価に大きな幅があるのと同じだな。
映画館内に充満させればリアリティがあっていいと思われ。
40年代は金持ちではなくても誕生会みたいなのはやっていた、地方都市ね。
電話は確かにない家庭もまだ多かったな。俺の家はたまたま早くからあったがない家庭も
あった。普及したのは40年代後半かな。
確かに40年代後半から50年代前半に豊かさを実感する物、出来事が増えてきた気がする。
中学生の時にブランド物が流行りはじめた。パーマー、クロコダイル、ラコステ、vanは高校生だったか。
高校生になると友人同士で中心街に行って外食したりすることも増えてきた。そうそうステレオが
流行っていたな、40年代後半から50年代前半だ。15万から30万ぐらいまでのステレオを持っている
同級生が多かった。
それに30年初めはほんとに握り飯も食えないのが結構いたし、電車に乗れないからチャリで200km往復して用事を済ませに行くこともあった、要するに何にもないところにだれが言い出したか知らないけど、追いつけ追い越せで昼も夜も働き続けたから急成長があったんでしょ、今みたいに個人が起ってはいなかった、みんな貧乏同じなんだっていう思いが強かったね、それが今でも田舎に行くとみんな同じって老害どもが言う所以。
今だって民間主導じゃないと景気は良くならないと思うわ、過去において政府主導の産業政策が成功した試は1個もないし。
傾斜生産方式とかガン無視ですかそうですか。
お、頭よさそうだな、俺より若いんだろうから君みたいな頭のいい人がぜひ世直ししてくれよ。
調子が悪い時は政府の仕業」じゃん?
コンビニ、マクドナルドなどのファストフード
40年代後半に出てきたもの
ダイエーなどのスーパーマーケット
>ダイエーなどのスーパーマーケット
これは60年代から普通にあった。
ただ、当時は大店法等の規制があった為、地元商店街もまだまだ健在だったから、
現在ほど目立たなかっただけ。
戦前のほうがずっとマシ
SkH0G8Byの書き込みいい加減だな
年寄りの記憶と言う奴はこれだけ曖昧なんだな、
と言う傍証になるかと。
この書き込みは相当若い奴だろ。
それも適当な見聞きで適当な創作混ぜて書き込んでる。
昭和40年代が江戸時代と同じなんて笑えるw
年寄りの記憶話でないのは明らか。
そりゃ国民も元気だわ
今はJapan Nothingの時代
今の生活うんぬんより、将来に希望が持てない
場所がないか
お医者さんごっことかお医者さんごっことかお医者さんごっことか
そんな夏休みだった
気が付けば失われた20年と言われている件
Japan Passing ’90 (軽く見られた)
Japan Nothing ’00 (無視された)
Japan Missing ’10 (存在すら忘れられた)
会社を定年退職する人もごく一部で、会社の退職金負担も少なくてすむ。
65歳前後で死ぬんだから貯蓄もそれほど必要ない。
生命保険があれば妻子はなんとかなるんだし、
残りは全部使っちゃえー!ってなわけで、金が天下をグルグル回る。
ってのも一因かと。
30年代後半には家建てて引っ越したけど。あいかわらず、食料事情は
さえなかったから、庭で野菜作ったり、ニワトリ飼って卵とってた。
それよりも大恐慌に向けて昭和三十年代の持ち上げが凄いね。
この時代レベルに叩き落されたら耐えられる連中がどのくらいいるのかね。
わだちでデコボコの道を、牛にひかせた大八車で木材を運んでいた。
うちは中山間地域で、電気こそなんとか来ていたが、まだ鉄道もなく
道路も悪かったので、山奥の人たちはみんな大きなしょいかごを背負って
1日かけて、市街地まで野菜を運び、その夜は旅籠に泊まっていた。
うちの父親は、街で食べるラーメンが何よりの幸せだったんだそうだ。
問題は、平成の今も、そんな昭和30年代と、なんかあんま
変ってないことなんだよな。
道は良くなったけどな。
俺のビジネスがうまく行かないのは、客の質が悪い、規制が悪い、時代が悪い、昔は良かった
典型的な無能の主張じゃねえかw
「法規制が少なかった」のは当たり前の話。
経済発展して社会が複雑化したお陰で
現代社会は規制だらけに。
それを「法規制が少なかったから経済発展出来た」にすり替えるなよ。
因果関係が全く逆。
経済発展できたから社会が発達し複雑化し規制が必然的に増えた
んだろうが。
カスゴミって脳があるの???
既に、戦前の日本でも江戸時代の日本でも社会が発達した状態では
規制・掟だらけでガンジガラメだっただろうに。
自分の利益のために民を犠牲にするってパターンだった。
今よりもずっと庶民にとっては理不尽な時代だったと思うよ。
その理不尽に憤る人が多かった。
今は逆に管理社会だと思う。今のポップカルチャーや
サブカルチャーからは、諦めとか倦怠とか、あと管理っていう
キーワードがすごく出てくるな。
スポンサーリンク
おすすめ記事
ツイッターで更新情報をお届け☆
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
みんな聞きかじりの話を自分のことのように語るね。
2ちゃんは70年代生まればっかだとわかるな